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エッセイ「ぬかるみにハマッタじゃ!」
By Taeko


「一人の商社」というハウツー本を頼りに、イギリスから輸入した古着の山。そして大好きなアジア雑貨。

このふたつが融合して、夏はエスニック、冬は古着屋というみょ〜な店展開となったぬかるみ堂。12年間の悲喜が詰まったエッセイです。

題名の「ぬかるみにハマッタじゃ!」は、お店のお客さんが口にしていた言葉です。


  プロローグ (98/03/11UP)
第一話 広告のこと
(98/03/11UP)
第二話 ユーズドの仕入れ (98/03/11UP)
第三話 バリ島仕入れ旅 (98/03/26UP)
第四話 パタゴニアへの道・いのちの祭 (98/04/05UP)
第五話 パタゴ二アへの道・本編 (98/04/13UP)
第六話 アウトドアブーム (98/04/20UP)
第七話 キャンプブーム (98/05/08UP)
第八話 剱岳のベースキャンプ (98/05/14UP)
第九話 貿易英語のこと (98/05/23UP)
第十話 男の子・女の子 (98/06/13UP)
第十一話 アメリカ仕入れ旅 (99/11/08UP)


12年前の1986年にぬかるみ堂を創業したとき、私たちは商売に関してひどく無知でした。小売店で働いたこともなければ、ファッションに関わったこともなく、ただ勢いだけで店を開いてしまったのです。

だけどモノはありました。「一人の商社」というハウツー本を頼りに、イギリスから輸入した
古着の山 です。
その当時はインターネットもなく、ファックスもなく、私たちは海陸運送のテレックスを借りて文章のやりとりをしていたんですよ。

はじめは、輸入した古着をワゴン車に積めるだけ積み込んで、東京や広島の古着ショップに売りに行ったり、
代々木のフリーマーケット で店を開いたり、若さにまかせた商いを繰り返していたのですが、そんなことを2年ほど続けた後、わずか150万円の資金で富山市の商店街のかなりはずれに店を構えたというわけです。

「えっ、たったそれだけのお金でお店が持てるの?」って思った?
そう、なんたって自分たちで壁に英字新聞を貼って内装したし、棚を作ったし、看板もロゴも作ったからね。

困ったのは古着の価格でした。
当時私たちが輸入していたのは、今のように1枚いくらの古着ではなくて、125ポンド(約55キログラム)いくらの古着でした。
55キロの古着は圧縮機で固められ、ハガネに閉じ込められて送られてきましたが、その梱包の半分がモノになるときもあれば、梱包の10分の1しかモノにならないときもありました。つまり値段を決めるには
商品の生存率 がアバウトすぎたのです。

そのうえ、いくつかの梱包の中にたまたまバーバリーのコートが混じっていたからといって、特別豪華な値段をつけるわけにもいかないんじゃないの、とまあ世間知らずにも私たちはそう思っていたのですよ。
そこで、これくらいの値段だったら自分なら買うな、というのが商品の価格になりました。
バーバリーのコートが7800円、ハリスツィードジャケットが9800円。
なんともセコイ金銭感覚でした。

しかしまあともかく、こうして富山初(でしょう)の輸入古着屋は始まりました。
そしてインドの神様ポスターやお香、アジアの
妖しい雑貨 やアクセサリーが、選ばれ生き残った古着とともにぬかるみ堂の誕生に立ち会ったのです。


    

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