もともとアジア大好き人間の私は、若くて美人(?)だった頃、1年オープンの航空券を手にインドやネパールをひとり旅したりしてたのね、だからそんな私にとって、「オリジナル衣料を一週間で作り、シルバーアクセサリーもろとも担いで帰ってくる!」という重大な任務があるにしても、バリ島仕入れ旅は嬉しさいっぱい。
もっとすごい放浪歴をもつボスにしたって思いは同じはず。
さァ2月になれば雪の富山を抜け出し、赤道を越え、いざ行かん、 神々の島
バリ島へ!
ああ、今思うとあの頃はよかったですぅ、バリに行けて・・・。
創業3年目〜5年目のあの頃、夏はエスニック、冬は古着屋というみょ〜な店展開をしていたのだけど、その1988年〜1990年というのは、同時に ストリート・スライダース が音楽業界の裏舞台を突っ走っていた頃と重なるのにちがいない。
スライダースのおっかけの女の子達が髪を染め、耳にいくつものピアスをはめ、アジアものの衣装を求めてぬかるみ堂に押し寄せていたっけ。
今ではオリンピック選手さえ茶髪だけど、その頃はめずらしくて、茶髪や金髪のおっかけ娘達は、大人達から奇異な目で見られていました。だけど、世間のヨコシマな視線などものともせず、彼女達はみな明るく、なんというか自分に挑戦しようとしていたね。
高校を中退した女の子も何人か知っているけど、彼女達は自分に対して責任感が強く、愚痴もこぼさず、自分の力で生きていく逞しさを持っていたようです。
おっと、話は仕入れでしたね。
さて、バリ島到着三日目からいよいよ仕事の開始です。
三日目なんてのんびりしてるねぇとお思いでしょうが、実際のところ一日目は夜に到着するし、二日目は毛穴を開くことで精一杯なのヨ。なにせ雪の富山から気温差30℃の熱帯に来たわけですから。
でもその代わり、仕事を始めたらすごいよ〜。
まずオリジナル衣料を注文するため、取引業者BOOM BABA(ボンババ)のオフィス兼縫製工場へ行きます。
ひとつには バティック
(ジャワ更紗)の色とりどりの布地でシャツやパンツを作るわけですが、私たちの場合は、新品の布地じゃなくて古い布地で作ります。洗い込まれ、色落ちした古布でないと、ヒッピー風のこなれたイイ感じがでないからね。
オフィスに着くと、フローリングした広い商談室の一角には、すでにバティックの古布が山と積み上げられ私たちを待っている。
土地の人が腰巻きとして使うこの布は、鳥や花やさまざまな自然の模様がろうけつ染めで描かれている。うちのボスと私は汚れや穴あきをチェックしながら、これはシャツ、これはパンツ、とアイテムを指定していく。
次は イカット と呼ばれているかすり織の布。こちらは新品の布から柄を選び、秋物のアイテムを指定する。
大変なのはレーヨンの布地。これはどの模様でどの色にするか決めて、染めてもらうことになる。何種類かに染めを絞り込んで、アイテムを指定する。
とまあ、丸一日かけて一気にこれらの選別指定作業をやり終えると、あとは帰国に間に合うように縫製してもらうだけとなります。だけどここは時間にルーズな南の島。
ここから大変なのはボンババなのですね。
雨期 の今、日に何度か降る突然のどしゃぶりの雨の合間をぬって布を染めるのを指示しなくちゃならないし、テーラーにくどいほどデザインや期日の念を押さなくちゃならない。時間の観念がまるでちがう外国人とバリ人の間に立って、大変そうです。
ある夜、私たちがボンババを訪れると、レーヨンの布地を前に西洋人の夫婦が切迫した雰囲気でボンババのボスに詰め寄っていた。彼らの英語の会話をそれとなく聞いていると、どうやら染め上がった布が雨でにじんでいて使い物にならないという クレーム のようだ。
「どうしてこんなことになったのよ!」と、西洋人ワイフは声を荒げている。
ボンババのボスのほうは、たぶん染めが乾ききらないうちに取り込んで巻いてしまったのだろう、染め職人は雨が降っても布を取り込まないから乾ききらなかったんだろうと説明し、もし使える部分があればその部分だけでも使ったらどうだろうかと提案している。
「だめよ、これじゃ使えないわ。注文したものとちがうわ」
「すぐにもう一度染め直します」
「また同じ失敗が起こるかも知れないじゃない。私たちには時間がないのよ!」
かなりいらついてきたワイフは、さっきから黙って思案している夫に向かって、早口のドイツ語で何か言った。
私はドイツ語はわからないけれど、不思議とこういうときの会話というのは何語であっても理解できるものなのだ。
「あなた、他の業者を当たりましょうよ」
「いや、どこに頼んだとしてもここはバリなんだ」
「だけど今から染めたんじゃ間に合わないわよ」
「とにかく、ちょっと待てよ」
いやあ、どこの国でも 男の思考と女の感情 というのは同じようなのだなあ、と身に覚えのある私は苦笑してしまう。
男同士の静かな会話と沈黙のやりとりがしばらくあった。
どうやらタイムリミットまでに染め直し、縫い上げるということで合意したようだ。しかし、結論が出てもまだしっくりこないのだろう、ワイフはバリ人が時間にルーズなことを大声で嘆いてみせた。その時だ。
「あなたの気持ちわかるわ」
さっきから奥でテーラーと打ち合わせしながらことのなりゆきを見守っていたボンババのオカミサンが、ひょいと顔をだして優しく笑った。
「私は日本人なの。日本も時間に厳しいのよ。だからバリタイムにあなたが怒る気持ちはよくわかるわ」
「あら、あなたはジャカルタの人かと思ってたわ」
女同士の世間話がしばらくあり、ワイフは気分が落着いていったようだ。
やるねえ、オカミサン!
バリ島には、現地の男性と結婚したたくさんの
日本人花嫁 が暮らしています。その中には、夫がジャパンマネーを当てにして働かないというケースもままあるようです。
ボンババの夫婦の場合はとてもうまくいっているケースで、二人でゼロから事業を起こして成功しています。
英語もインドネシア語もペラペラの若いオカミサンは、日本語になったとたんノリのいい横浜弁であっけらかんとこんなことを言ってのけるのです。
「私この頃、自分でえらいじゃんって思うわけ。
ほら、仕事バリバリやってる白人の女の人達いるじゃない。前はすごいなァと思ってたのよね。でも最近私、その人達とフツーに話ができるわけ。むこうも対等に話してくれるし。それって、この仕事やってきたから実力ついたわけじゃん。
私は彼と結婚してラッキーだよね!」
いやあ、そんなあなたと仲良くなれた私もこの仕事やっててラッキーだよ。
さて、衣料品の注文が終わると、あとはシルバーアクセ、木彫りアクセ、ラタンバッグ、雑貨なんかをワッセワッセとあっちこっちの工場で仕入れしていきます。
ところで、バリの クタ、レギャン
の通りは、あっちもこっちも一方通行になっていて交通渋滞。レンタカーでの移動はどうしても余計に時間がかかってしまって、サンセットを眺める余裕などどこにもない。
その上、うっかり 一方通行を逆進入
して、「やだな、オマワリサンに捕まっちゃったよォ」というトラブルに出くわしたこともありました。
さてこの場合、一方通行路逆進入の違反だったはずなのに、いつのまにか車の登録証不携帯だのなんだのと違反が追加されていくのでア然としてしまうのですが、オマワリサンが大勢集まってこないうちにさっさと罰金を支払い、私たちはさっさと釈放してもらいました。
面白いことに、この時払った罰金というのは、逆進入の罰金でもなく、登録証不携帯の罰金でもなく、どうしてそんな展開になるのか、登録証再発行の手続きをオマワリサンに代行してもらうための代行料というものだった。(なんだそれ、レンタカーなのに)・・・ま、つまり早い話が 保釈金 を払ったということだね。
ここで大切なポイントは、オマワリサンが大勢集まってこないうちに、つまり保釈金が値上がりしないうちにさっさと交渉することだと私たちは考えていて、いつでもすぐに交渉できるようにポケットに保釈金を第一段階用、第二段階用、というふうに用意しています。
にもかかわらず、この逆進入ケースではめずらしく判断ミスをしてしまい、第一段階用で対処してしまったために 署に連行 されてしまい、その結果、さっさと釈放されたとはいうものの、第一段階用の4倍の保釈金を払うことになったのは、ボスにすればアジア放浪歴で始めての惨敗でした。判断ミスをしきりと反省するボスでありました。
これが西洋人の場合だと、わけのわからないお金は払わないぞと、ちゃんとがんばる人たちもいて、すごいなあと思うけど、しかしそうなるといたずらに拘束時間が長引くことになると思うのですが、どうなのでしょう。
毎度のことながら、最後の日には紙幣の束をリュックにかつぎ(バリではちょとまとまった金額になると、ものすごい厚みの束になる)、すべての商品の引き取りと支払いを出国数時間前にドタドタと終了させます。それからバリコーヒーを飲みながら、出国検査がすんなりいきますようにと、約100キロの商品を前に 最後の気合い を充電するのであります。 |