パタゴニアへの道 いのちの祭

パタゴニアは南アメリカ大陸の南端、つまり南極の間近に広がる、氷と嵐の苛酷な大地だ。
医師であり冒険家でもある関野吉晴氏が1993年から挑戦している
グレートジャーニー をテレビ放映で観た人なら、彼が徒歩で縦断したパタゴニアの氷床のすさまじさを思い浮かべることができるでしょう。

「は〜ん、つまり、そのパタゴニアへ行ったっちゅう話やな」と思った?
いえいえ、話は
嵐の大地パタゴニア ではないのです。
そうではなくて、そのパタゴニアの山々をブランドマークに取り込んだ、
超有名アウトドアブランド パタゴ○ア の話なのであります。
えー、つまり、パタゴ○アの商品をぬかるみ堂に並べたい!と思いつめた私たちが辿った
苦難の道のり をお話ししたい、とまあこういうことなのであります。



創業7年目(1992年)を迎えた私たちは、相変わらず調子こいて、夏はエスニック、冬は古着屋というみょ〜な店展開を続けていました。
しかし本当をいうと、調子こいてなんかいなかったのです。本当は、
調子わるわる だったのです。
というのも、私たちの大好きなアジアものが、今ではすっかり売れなくなっていたからです。

ロックグループのストリート・スライダースはついにメジャー入りを果たせず、彼らの熱狂的なファンたちもすでに高校を卒業し、まっとーな社会人になっていました。いつまでもジャラジャラとアクセサリーをつけ、アジアンヒッピーを装っている場合ではないのだ。

アジアものがどこまでも低迷していくその一方で、そのゆ〜うつを晴らさんとばかりに、私たちは2年前から夏になると、
いのちの祭 に参加し、そこで 露店を開いて いました。

いのちの祭・・・1988年に八ヶ岳で始まったこの祭は、まさに 日本のウッドストック だ!

地球の癒しのために人々が集い、歌い、語り合い、つながっていくこの祭の試みは、またたく間に日本各地に広がっていき、そして祭の噂を聞き付けた私たちは遅ればせながら90年から祭に参加していったのです。
軽四ワゴン車に
キャンプ道具一式 と、露店で売るための商品をめいっぱい積み込み、人里離れた山の中の開催地へ向かって、ヨロヨロというか、ワッセワッセというか、いや、ヨイショヨイショってかんじで、山越えしたものです。(なんだかビンボーだけど楽しいバクチ人生、じゃなかった祭人生ですぅ〜)

私たちが参加したのは、

1990年 みどりといのちの祭・・・岐阜県清見村
    アースギャザリング'90・・・長野県美麻村・遊学舎
1991年 山の幸コンサート・・・岐阜県飛騨舟山高原
1992年 まつり'92・・・愛知県旭高原元気村



中でも、まつり'92はすごかったあ。
「わっ、ボブ・マーレーだ!」と驚いたくらいぐしゃぐしゃの
ドレッドヘアー をした男たちや、「ややや、喜多郎か?」のごとき風貌をした長髪の若いお父さんたち、見るからに 伊豆とか屋久島とか長野の大町 あたりにいそうな筋金入りの自給自足生活実践者たち、そして東洋思想にはまったこれまた喜多郎ふうの西洋人たちが、日本中から結集しているっていう感じでしたね。

バリ島から里帰りしていたボンババのオカミサン(第三話を読んでネ)も娘を連れて来ていて、彼女は女ひとりで車もなくてどうやって手はずを整えたのか、ちゃっかり露店を開いていました。さすが八ヶ岳のまつりで夫と共に軍資金を稼ぎ、バリ島で事業を起こしたオカミだねえ、並のパワーじゃあない。

父親ゆずりの濃い褐色の肌と、くるくるの巻き毛をもつオカミの小さな娘は、母親が店番している間中、日本人の女の子達に世話をやかれていました。
「外人の子ってこういう時、得だよね。めずらしいから、かまってもらえてさあ」
オカミはバリにいる時、「私ってここじゃ外人じゃん」と笑っていたけど、日本にくると、「うちの娘って外人じゃん」とやはり笑い飛ばしているからすごい。

このまつり'92は運営もしっかりしていて、森の中のコテージでは ヨガやクラフト教室 が催され、広場ではいつも 歌と太鼓と踊り が広がり、広場の一角の屋台村からは アジアのスパイス の匂いが漂い、その上、ここは インドのゴア か!?というノリの露店がずらりと並び、さらに、このまつり自体が ゴミ問題 のワークショップとなっていました。

そしてそんな中で、いろんな肌の色をした子供達が、いつのまにか集い、出逢い、森を駆けまわり、世界をつなげていました。

ところで祭の参加にからめて、実は私たちは夏のキャンプ生活を一気にやっていました。
つまり、祭参加中はもちろんテント生活をしていたわけですが、その行き帰りの途中でも、ちゃっかりキャンプ場を探してはテントを張っていたのですよ。(特に白馬村のキャンプ場なんかで)
ところがこのキャンプ生活において、私たちは次のような大きな問題点にぶちあたっちゃったのですね。

1 XXホームセンターで買った¥9800のテントは
重すぎる
2 XXホームセンターで買った¥2980の寝袋は
寒すぎる
3 ぬかるみ堂で売っているバティックシャツは夜の焚火には
寒すぎる

中でも3番目の問題は深刻です。衣料品を扱っている自分たちが寒さに震えているとは、いったいどうしたことか!すぐさまキャンプ生活向上委員会を設置し、アメリカの
アウトドアカタログ をあれこれ取り寄せてみました。

次から次アメリカからカタログが届き、私はカタログの中の美しい風景と静かなアウトドアライフにたちまち魅了されてしまいます。しかし、アラスカでカヌーを漕ぐのも、メイン州のトレイルをハイキングするのもかなり夢のような話です。そこで、まずは
富山の山歩き 本を熱心に研究しては、秋の山に入っていくようになりました。(ある日、 「危険、クマ出没」 という看板に遭遇してからは、ボスを誘って先頭を歩かせるようにしたけどね)

もちろんカタログの商品にもトーゼン魅了され、この服があったらあったかいだろうなあ、この寝袋があったらあったかいだろうなあ、と憧れはふくらむばかり。

そうこうしているうちに、えー、そうこうというのはつまり、低迷と祭とキャンプと山歩き、それに第二話で書いた革ジャンの輸入をしているうちにってことなのだけど、ぬかるみ堂は8年目(1993年)を迎えたのであります。
そして山歩きのおかげで背骨の歪みがすっかり矯正されたボスが、ここで力強く言ったのです。
パタゴ○アの服を店で売ろう! 」とね。

いやあ、前置きが長くなってごめんね〜、いよいよ「パタゴニアへの道」
本編に突入 で〜す。
というところで、もひとつゴメンネ、次回に続きま〜す。(^o^;


 

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