剱岳のベースキャンプ

地元だからいざとなったらさっさと下山すればいいさ、とタカをくくって、やってきました標高2450mの別天地、室堂(むろどう)へ。ここは立山登山の玄関口です。

ケーブルと高原バスを乗り継げば、あれよあれよと終点室堂にいとも楽ちんに着いてしまうのだから、まったくもって富山が誇る山岳観光地、 立山黒部アルペンルート はすごいのです。

押し寄せる観光客のごったがえしもすごいし、首が座ったばかりの赤ちゃんまでがおじいちゃんおばあちゃんとバスに乗り込んでくるのも当り前みたいなところもすごい。
バスの窓から見る広大な高原に、地塘(ちとう)が点在する景色なんて、美しすぎてそりゃあもうすごい。
そこへもってきて終点室堂では、間近に立山を仰ぎ見て、残雪に囲まれた静かな池を見て、地獄谷で地獄をうろつき、温泉につかり、運がよければ
雷鳥 が見れる、という 見どころてんこもりの観光 ができるのですから、すごいのなんの、とにかくアルペンルートはやたらめったらすごいのでぇーす。
(すごいとしか表現できない私の語彙の貧困さもすごいかも ^_^;)

あ、そういえば、私が
広島で高校生 をしていた頃、このアルペンルートのもうひとつの目玉、黒部ダムに修学旅行で来たことがありました。富山からじゃなくて長野側から入り、わけもわからず巨大ダムを見ただけでしたけどね。

てなかんじで観光客がこうもお気軽に押し寄せる立山ですから、
山岳部経験のない私たち が、ほんの思いつきでキャンプにやってきたのもむべなるかな、でありましょう。



剱岳のベースキャンプ、雷鳥沢キャンプ場は、室堂から徒歩45分。
むやみと重いテントをかつぎ、あいかわらず¥2980の下界用の寝袋と、
半透明ビニールの雨ガッパ というずさんな装備で望んだ私たちは、夜の寒さに歯をガチガチ鳴らし、 雨の中でのテント撤収 にもたもたと苦戦しました。

一方、 山の人達 は、降りしきる雨の中で平然とテントをまとめ、20kgはあろうと思われるリュックをかつぎ、剱岳めざして登っていくのでした。
ザッザッザッという登山靴の音だけ響かせて、早朝に出発する山の人達。
彼らの姿が
残雪の白い急斜面 に現われ、やがて小さな点となって稜線のかなたへと消えていきます。なんとも厳粛な雰囲気です。
「なんか静かに感動したなあ」とボス。



1994年、アウトドアブーム(第六話を読んでね)が炸裂する中、私は寝袋や登山靴をアメリカから安く取り寄せていきました。一回目の大失敗にも懲りず、雷鳥沢キャンプ場
再挑戦 をもくろんでいたのです。
本当はテントとリュックも軽量のものが欲しかったのですが、そこまで贅沢はできないので、昔ボスが放浪時代に使っていたバックパックの
しょいこ でなんとか重いテントを背負い込むことにします。もちろん背負うのが誰かはおわかりでしょう。
私のリュックは一見重そうですが、実は軽〜い寝袋がちゃっかり二つも入っているんですな、これが。
かわいそうに、息子のリュックの中には、衣服に混じって
父親の焼酎 がしっかりと入っています。すまない、息子よ。


再挑戦の立山は晴天に恵まれ、大成功でした。

ヘリコプターが物資を運ぶのを見れて、雷鳥を見れて、その上めずらしい光景も見れました。
なんでも
高校総体が開かれる というので、各地から登山部の高校性が集まってきていたのです。劔御前小屋の方から早朝下山してきた高校性の一団が、朝の光の中でテントを張っていたりして、聞けば、総体では15kgの荷物を背負って縦走し、タイムを競うのだそうです。

ところで今回は残雪がほとんどなかったので、剱岳の展望台、奥大日岳(2611m)に登山できました。しかし、その下山途中のこと、私は「気分悪いよ〜、しんどいよ〜」になってしまい、うずくまってしまいました。楽な下りだというのに、どうしたことか。 答えはボスが思いつきましたね。
「高山病にかかったんだよ」
へっ?たった
2600mごときで高山病?
それってエベレスト登山とかでかかる病気なんじゃないの?と思ったけど、なんのことはない、情けないことにやっぱりそうだったのです。むりやりキャンプ場まで下りてきたら治っちゃったんだからね。

「お母さん、それじゃ雄山に登りたいって言っても、ムリだよ」と、息子にあなどられる始末です。立山山群のひとつ、山頂に神社のある雄山は3003m。 せめてエベレスト登山の拠点ナムチェバザールで高山病ってんならかっこつくけど、、、雄山も登れないとなると、私ってかっこわる〜。


 

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