第二十話



ロシア船まであと百メートルに近付いていた。
エアーマットにつかまったまま亮一は海岸線を振り返った。

浜茶屋はさっきまでとは比べものにならないくらいに小さくちっぽけに見えていた。その後ろには、わずかに霞んだ立山連峰が浜全体を覆うように高く連なり、剱岳がひときわ勇壮に青くそぴえていた。




不意にあたりが薄い闇に包まれ、光を反射していた海面が翳った。灰色の大きな雲が太陽を隠したのだ。海は急に存在感を増し、紺色に深く澄んでいった。

東からの風が右頬を撫でていくのをさっきから亮一は感じていた。
「・・流されとる」
「うん」鉄也が答えた。
「えっ、なに?」慎二がかん高い声を上げた。
「オレら、流されとんがよ」鉄也が低い声でつぶやいた。
三人がつかまっているエアーマットは、徐々に西へと潮に押し流されていた。

三人は辛抱強くバタ脚で突き進んだ。だが船までの距離はいっこうに縮まらない。
潮流はどんどん速くなってくる。
「くっそー!」三人は意地になって海面を蹴った。しかし潮の流れは速く、どんどん流されていく。
次第に船尾を追いかけるかたちになって流されていった。

ようやく三人はお菓子を諦めた。
だがいざ浜に戻ろうと進路を変えた時、三人は自分たちがとんでもなく西に流されているのに驚いた。しかもうんざりするほど浜は遠い。

鉄也の提案で、白灯台を目指すことにした。防波堤の先端だから一番近いし、それに相変わらず西に流されているので、浜に向って進路を取っていけば潮流を利用して白灯台にたどりつけそうだ、というのが鉄也の考えだった。

「もうちょっとだったがにのお」
鉄也が未練がましくロシア船を振り返った。
亮一は浜に戻れることになって内心ほっとしていた。

「ねえ、ねえ、見て、見て。ここの水の底、なんでこんなにぐんじょう色ながやろ?足の先まで透けて見えとんがに」
真ん中でエアーマットにつかまって海中を覗き込んでいた慎二が、突然すっとんきょうな声を上げた。

それは水深が千メートルあるからだ、と亮一は言おうとして、口をつぐんだ。千メートルの深さのその底には、、、想像したとたん、急に水が生き物のように足に絡みついてくるのを亮一は感じた。鉄也も黙っている。慎二のエアーマットが今更ながらありがたかった。

「ねえ、ねえ、なんでぐんじょう色なが?」
「うるさいじゃ、おまえ!」鉄也が怒鳴った。

「なんだよ、お菓子もらえんかったが、オレのせいじゃないよ」慎二が口を尖らせた。
「わかっとっちゃ。誰もそんなこと言うとらんねか」
「そしたら、なんでそんなに怒っとんが?」
「怒っとらんよ」
「怒っとるよ、鉄ちゃんの母ちゃんみたいだ」

慎二の言葉に鉄也の顔がこわばった。
鉄也はエアーマットを離れ、ひとりで泳ぎだした。いつもみさかいなく怒ってばかりいる自分の母親のことを言われると、鉄也はきまって黙ってしまうのだった。

亮一は仕方なく慎二に千メートルの水深のことを耳打ちした。慎二は確かめるように海中を覗き込むと、
「てっちゃん、ごめん」と素直に謝った。
「てっちゃん、ここに来てつかまってよ」
「なんでよ」
「だってオレ、間に挟まっとったら安心だから」
慎二が心細そうに言ったので、鉄也は仕方がないなという顔で戻ってきた。亮一には鉄也の強がりが可笑しかった。

「オレ思うけど、こんなところまで泳いできた奴なんて、絶対におらんよ」亮一は明るく言った。
「うん、すごい自慢出来っちゃね」慎二もとたんに元気な声を出した。

「誰にも言わんほうがいい」鉄也がエアーマットを顎で突っつきながら低い声で呟いた。
「なんで?絶対に自慢出来んがに(出来るのに)」と慎二。

「・・・母ちゃんにばれたら、怒られる」



  

Copyright (C)1999-2000 Terakoshi .All rights reserved.
通販美生活-美容・コスメショップ 通販夢生活-健康・癒しショップ