「高校生、見つかったじゃ。オレ気持ち悪て、途中で逃げてきたじゃ」
鉄也は身振り手振りで見てきたことを説明した。
−−沖に出た漁船は、網を海に入れながら二手に別れ、大きく扇状に浅瀬まで網を流していった。その網を、今度は岸の人々が両方からたぐり寄せながら曳いていった。これは一網打尽に魚を捕える地曳網漁の方法だ。やがて網が小さく寄せられてきた時、「ああっ」という叫び声に似たため息が、大人たちから漏れた。更に網をたぐり寄せていく。網の中央には、最後に魚が集まるタモという網目の細かい袋がある。そのタモの中に、わずかばかりの小魚や、くらげと一緒に・・・
「そんで、てっちゃん見たがかよ、死んどんが」
「そんなもん見れっかよ、だから途中で逃げてきた言うたねか」
鉄也は目を大きく見開いて、口を尖らせて言った。
シャンハイのおっちゃんが、疲れた表情でゆっくりと戻ってくるのが見えた。その向こうの現場には、またも三十人位の人垣ができていた。
「死んだがかのお」
「生きとったら奇跡だちゃ」
鉄也は気持ちがまだすこし昂ぶっているようで、椅子に座って落ち着かないようすで躰を揺らしている。
「おう、ご苦労さん。二人ともありがとうよ」
戻ってきたおっちゃんは、いつもの穏やかな顔になっていた。二人は椅子から立ち上がった。
「おっちゃん、溺れた人どうなったが？」亮一は五十円玉を渡しながら聞いた。
「もうちょっこし早う見つけてやればよかったがだけど、ありゃあ、もうあかん。肛門が開いてしもうとった」
「・・肛門って？」
鉄也が思わず訊き返した。おっちゃんはそれには応えず、椅子に座ると丸テーブルの上の煙草を一本抜いて火をつけ、大きく一服した。
「四月に季節外れの台湾坊主が来たもんだから、浅瀬でも深いところがあっちこっちに出来とる。おまえらも気いつけて海に入らんとあかんがいぞ」
台湾坊主というのは、いつもは冬の終わりに台湾の方から来る温帯低気圧のことだが、亮一は台風のことだと理解していた。
「あの人、浅いとこで溺れたがに、なんですぐに見つからんかったが？」
「そやのお、ボウヤは海の沖の方ちゃ、どのくらい深いか知っとっか？」
亮一は目をばちくりさせた。
「この富山湾ちゃのお、ほんのちょっと沖にいくだけで、水深が千メートル以上もあんがじゃ。−−つまり、ここからおまえらの小学校までの距離と同じぐらいの深さがあんがよ。その上、海には潮の流れっちゅうもんがあっての、沈んだもんはだんだん沖にもっていかれてしまうがだ」
「そしたらあの人、もしも網に引っかからんかったら、そんな深いとこに沈んでしまうとこだったが？」
おっちゃんはゆっくりと煙草を吸い、煙草の灰を砂の上に弾いた。二人は、じっとおっちゃんの次の言葉を待った。
「−−海で溺れて沈んだ人間ちゅうもんは不思議なもんでの、沈んでからぴたーっと十時間したら、必ず一回は浮かんでくんがよ」
「へえ、ほんならそん時に見つかんがだね」鉄也が言った。
「まあ、浮かんだ時にうまく見つけられたらな。−−とは言うても、広い海のどこに浮かぶやらわからんし、そん時に見つけられんかったら、また沈むわなあ」
「えっ、また沈むが？」
「おうよ、死んだもんによって時間のこたあまちまちやろけど、とにかくまた沈むわな。まあそれで沈んだら・・・」
「沈んだら？」
思わず二人の声は高くなった。
「そりゃ、へたすりゃ千メートルの海底に沈んでしまうっちゅうことにもなるがかもしれんのう」
「ず−っと？」
「そやちゃ、ず−っとやろのう」
二人は顔を見合わせて、生唾を呑み込んだ。
「−−おっちゃん、もうひとつ聞いていい？」鉄也はおっちゃんの煙草のタイミングを計って聞いた。
「さっき言うとった肛門って、なんのこと？」
おっちゃんは煙草をゴム草履で踏み消した。
「まあ、そんこたあ、もういい。−−それより、留守番しとってくれたがだから、二人ともあそこでかき氷もろうて、食べてこい」
おっちゃんは顎でシヤンハイを指すと、目尻に刻まれた皺で笑った。
「オレら、今日こづかい持っとっから、かき氷はいいです」
亮一はそう言ってから、ちらりと鉄也を見た。鉄也もうなずいた。
「後でシャワー、使わせて下さい」鉄也が言った。
「ああ、使うたらええ」
おっちゃんはそれっきり海の方を向いて、双眼鏡を覗き始めた。
「ボウヤ、行こうよ」
鉄也は海パンの内ポケットから山分けした五十円を取り出し、にかっと笑った。
気持ちの切り替えのやたらと早い奴だな、と亮一は可笑しくなりながら、自分も海パンから四十円を取り出した。 そして去り際に、笹本恵美子が使った浮き輪を軽く叩いた。
