インドにハマッタじゃ!

第十三話

ダンパス・トレッキング3


ついに親方の太いどなり声が少年たちの上に落ちた。決断が下されたのだ。はたしてその決断によって私は捕らえられるのか、それとも釈放されるのか。
息を詰めていると、少年たちのなおもざわついた声は、親方の叱責する声に追い立てられるようにして遠退いていった。ふう、つまり私は釈放されたのだ。助かった!

安心したら、ふと別の考えが浮かんだ。あの少年たちは、実は私の身を案じてくれていたのではなかろうか。日没までに宿に辿り着けなかったら大変だからなんとかしてあげようよと親方に意見していたのかもしれない。彼らがあれほどぎょっとしていたのも、この道が実は地元の人間しか知らない道だったからかもしれないし。
ああ、あんな働き者の健気な少年たちを疑った私って、臆病にもほどがある。



マチャプチャレの鈍い先端が天を突いている。
ついに尾根に登り出たのだ。まさしく日没三分前のぎりぎり駆け込みセーフだった。ああ、前方に見える宿の明かりが心強い。

しかしここで私は気を抜いてはならなかったのだ。宿の明かりに安心してしまうべきではなかった。そう、宿選びのために最後の気力をふり絞るべきだったのだ。

だが私の姿をいち早く見つけ、優しい笑顔で声をかけてくれた宿のおにいさんを振り切るには、私はあまりに疲れていた。だから彼に案内され、ランプの明かりの向こうにベッドがずらっと並ぶだけの人気のない大部屋を見たときにさえ、この宿を断るだけの気力をふるい起こすことができなかった。
誰も泊まっていないこの流行らない宿で、二階がすっぽり大部屋になっているこの部屋で、たったひとりで眠りにつくことに不安を感じたが、一方で目の前のベッドさえあれば今夜は安心なのだからいいじゃないかと疲れた私が自分を納得させたがった。

宿に辿り着けただけでありがたかったし、なによりここは安かった。安いということは私にとっていつも第一に大切なことで、私の旅は安さのために快適さをいつも犠牲にしていた。だからここでも安さのためには少しくらい快適さや心地よさを犠牲にしても仕方ないと習慣的に判断してしまったのだ。ああ、こんな時にこそ 安らかな眠りを金で買う べきだったのに。


まるで収容所を思わせる寒々としたベッドが全部で20床程並んでいる中から、真ん中のベッドを選んで腰掛けた。ランプの薄暗い明かりの中で、いったいこのトレッキングを疲労だけのものにしてしまったとはどういうことだろう、どこでへまをしたのだろうと落ち込んだ。が、そんなことより今はまず何か食べ物と飲物を肉体に与えることのほうが先決だ。

私は二階の部屋から下りて、食堂はどこだろうかと窺ったが一階はまっ暗だった。明かりを宿の外壁のところに見つけて近付いて行くと、そこには宿に外付けされた小さな軒があり、軒下の奥でかまどの火が勢いよく燃えていた。その火の前には何か料理している貧しいなりをした女性がいて、私の足元には小さな女の子とおじいさんがしゃがんでいて、ものすごい真剣さでがつがつ食べていた。彼らが左手に持った平皿には、 ご飯茶碗三膳分 ぐらいのたくさんのご飯と、少しばかりのなにか汁っぽいおかずが盛ってあった。

女性は私に気がつくと、食べるかと身ぶりで聞いた。
なにか食べたいのは山々だが、ここで頷いたら少女が食べているのと同じものが出てくるにちがいない。いくらなんでも三膳ものご飯を食べ切るだけの元気はなかった。それにここで私が食べたら家族の誰かが食べられなくなるのではないだろうかという考えが咄嗟に浮かんだ。ここは宿だから私が食べるとお金になるはずなのに、どうして私はそういうおかしなことを考えてしまうのだろうか。

私は首を振り、チャイを注文した。それから少女の隣にしゃがんで彼女のもつれた髪や埃だらけの頬、そしてご飯を上手にすくっては口に運ぶ器用な指を見つめた。

しばらくしてミルクの少ないチャイが差し出された。その味気ないチャイを飲みながら外を見やると、少し向こうにも宿があって、その宿の二階にある食堂で、年配の西洋人旅行者たちがテーブルと椅子について楽しそうに食事をしているのが ガラス張りの窓 越しに見えた。そこはいかにも明るく快適なロッジのようだ。

ああ、それくらいの快適さなら私だって簡単に手に入れることができたはずなのに、、、現実には地べたにしゃがみ、かまどの煙やら灰やらを頭から被っている自分がいる。
だけど、すりきれたワンピースー枚をまとった小さな女の子だってここにいる、、、。


ベッドに戻り持参の寝袋に入ってぼんやり寝転がっていると、宿のおにいさんが毛布をもってやってきた。もう寝るのかと聞くのでそうだと答えると、彼はランプを持って行ってしまった。おいおい、真っ暗じゃないか、トイレに行きたくなったらどうするんだよう。真っ暗じゃなくても寝られるんだよう。
だけど、なんのことはない、真っ暗のおかげですぐに眠りについたらしい。

ふっと気がつくと階段がきしむ音がしていた。それから部屋の床がきしみ出した。誰かが私の方に近づいてくるのがわかった。寝袋から顔を出して薄目を開けると、人影が鈍い光の向こうに見える。が、コンタクトを取って寝ている私の近視の目にはすべてがぼやけている。

人影はどんどん近づいてくる。きやああああ!
(もちろん私は叫んだりはしなかった。恐い時には声なんか出やしないものなのだ)
ついにそいつは私のベッドを回り、私の枕元にやってきた。そして明かりがどうとか言って、手に持った明かりの向こうでにっこり笑ったが、その明かりのせいでその笑いは無気味な形相となっていた。
暗闇で懐中電灯を顔の下から当てるとどんなに恐いか誰だって知っているでしょ、あれですよあれ。

そいつは宿のおにいさんの他には考えられなかった。だがこの若い男はいったい今頃何をやっているのだ。明かりがなんだって?そんなことより人の部屋に勝手に入ってこないでよね。

突然彼の腕が私の頭の上に伸びた。きやああああ!
彼がまた明かりがどうのこうのとごにょごにょ言った。なんなのよ、と頭元を見上げると、燭台にろうそくが一本点ってあった。へっ、ろうそく?

彼はまたごにょごにょ言うと部屋を出ていった。どうやらこのろうそくを夜通しつけておけということらしい。まったく 小さな親切、大きな恐怖 だわよ!


その夜私が熟睡できなかったのは言うまでもない。そして翌日朝食抜きでポカラまでまたも歩き通すことになったのも私のやりそうなことであった。

ま、トレッキングは単独でやると大変だよというお話でした。


 

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