インドにハマッタじゃ!


第七話

ネパール ポカラ スルジェ・ハウス

 

バラナシからネパールのポカラまではバスで二日がかりの旅だ。
インド名物 恐怖の暴走運転 に、あわや衝突事故か、と何度もはらはらしながら国境までたどり着く。国境の宿に一泊すると、翌日またも体力勝負のバスの長旅が待っている。

バスにガンガン揺られ、挨にまみれてようやくポカラのバス停までたどり着くと、すでに夜の十時。関西弁男は、ここまで連れてきてやったんやからもうええやろという感じで、すごい早足で遠ざかっていった。

あっという間にバスの乗客は散ってしまい、月明かりだけがたよりの闇の中に、大学生の男の子と私は取り残された。(三人の男の子のうち、二人の男の子は、国境で別れてブッダ生誕の地ルンビニに行っていた)



とにかく関西弁男が向かった湖の方角にどんどん進んでいくと、闇夜にそこだけぽっかりと明かりの灯ったチャイ屋があった。見れば関西弁がネパリ語をまくしたてながら、ドーナツ型の揚げパンとチャイの軽食をとっているではないか。

大学生はチャイ屋に入っていき、自分も同じものを注文すると、
スルジェ・ハウス ヘの行き方わかりますか?」と関西弁に聞いた。

関西弁は、自分のことは自分でせなあかん、というポリシーを自分にも他人にも適用していたので、なんやそんなことも調べとらんのかい、あほちゃうか、という顔をするかと思いきや、
「この道まっすぐ行ったら白い壁があんねん、そこを右に曲がって行ったらあるわ」と、意外とすんなり教えてくれた。

「この道ですね、白い壁を右ですね」
大学生は落ち着いて確認している。
すでに意識が朦朧としていた私は、今夜の宿のことはすっかり大学生にお任せ状態で、ぼんやりと椅子にもたれた。

「何か食べたら?大丈夫?真っ青な顔してるよ」
関西弁とちがって大学生は優しい。

「何もいらない」
今日一日チャイを飲むぐらいしかしてないのに、吐き気がしている。
実をいうと、旅の移動中、私はほとんど食事をしない。緊張していてお腹が空かないということもあるのだけど、もうひとつには、 全部食べ切れなかったらどうしよう と思うと怖くて、食事と呼べるものを注文できないのだ。だから移動中だけでなく、滞在中も同様に、レストランには滅多に入らない。

じゃあ何を食べていたのかといえば、果物、ビスケット、路上売りのパコラ(野菜だんご)、それにヨーグルトやチャイといったところ。インドのベジテリアン専用レストランは菜食の私にはぴったりなのに、もったいない話だ。
こうなったら、なんとしても早いとこ、 インド式筒型弁当箱 を手に入れなければ!そうして、食べ残しを保存できるようにしなければ!出された料理を残すということが大嫌いな私にとっては、食べ残しを持ち帰れるのだったら安心して料理を注文できるからね。


結局その夜、しっかりものの大学生のおかげで、方向オンチの私はスルジェ・ハウスに無事辿り着くことができたのだった。
あの時、寝静まったドアを力強くたたいて、スルジェさんを呼び起こしてくれた大学生の大野くん、ありがとう。

さて女の子用の小さなドミトリーをあてがわれてほっとした私であったが、夜道ですっかり冷えきった体はセーターごと寝袋にくるまっても、ど〜にも暖まらない。ヒマラヤ山脈の麓だけあって、夜は冷え込む。その上ほぼ二日間、食物を補給していないのもこたえているようだ。寒さに震えながら横たわっているうちに朝を迎えてしまった。


しかし朝がきたからにはもうこっちのものだ。おもむろに中庭にでてみると、
おお!なんと!そこには輝くばかりの白銀の山々があった。アンナプルナ連峰だ。

スルジェ・ハウスのお手伝いのネパリ娘が、あれがマチャプチャレだよ、と一際くっきりと鋭くそびえた山を指さし、山の歌を歌ってくれた。
「マチャプチャレ〜、アンナプルナ〜」

それから何時間待っただろう、昼近くになってようやく炊きあがった おかゆ がこの上もなくおいしくて、覚えたてのネパリ語を連発した。
「ミートツァ(おいしい)、ダンニャバード(ありがとう)」


ボカラは陽だまりのようなところだ。うららかな二月の陽を浴びながら洗濯している時が一番幸せ。
村の風景は、私が幼い頃そこら中にあったような日本の田舎の風景と変わらない。子どもが道端で泣いているのを見ていると、タイムスリップした気がする。

ここでは裸足で過ごしていた。子どもの頃の土の感触を足の裏に蘇らせながら通りを歩き、きまって 煎り豆 の引き屋台で1ルピー分の豆を新聞紙に包んでもらっていた。そして毎日ポリポリ豆ばかり気に入って食べていた。

男の子たちは、湖でボートを漕いでボケーとしたり、チベット村でお酒を飲んだり、トレッキングに行ったりしながら、なによりカレー味でない食事を愉しんでいるようだった。

旅の神髄は移動の中にある!旅は自分の判断力だけが頼りの移動の緊張感の中にある!と思っている私は、国境越えで消耗した体力が回復すると、すぐさまネパールの主都カトマンドゥを目指すことにした。バスで八時間の旅だ。ふふふ、さあて、また気合いを入れて、ひとり旅の復活だあ。


 

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