インドにハマッタじゃ!

第六話

聖なる河ガンガー

 

ガンガー(ガンジス河)に面した久美子ハウスのテラスからは、日の出が拝める。

ガンガーの向こう岸から太陽が現れる瞬間をとらえたい、と今日も私はテラスで早朝の冷たい風に吹かれていた。ここに来て三度目の朝だ。
眼下の河岸からは、洗濯夫たちの 洗濯物を打ちつける音 が力強く響いている。

六時四十分、空がうっすらとオレンジ色がかってくる。ガートから聞こえてくる祈りの声や歌や鐘の音が一段と高まった時、ついに真っ赤な太陽がその姿を現わした。
うわあ、なんてきれいな赤!

太陽はするすると昇っていき、見るまに白色の光へと変ぼうした。



久美子ハウスの広々としたドミトリーで暮らす日々は平和で楽しかった。
郵便局に手紙を出しに行って一日が終わり、ガンガーをボートで観光して一日が終わり、はたまた本を読んで一日が終わったりした。

日本人だらけなのでおしゃべりも楽しいし、カメラが紛失する心配もないし、日本風の夕食もおいしい。久美子さんも気さくなお姉さんだ。

だが、カルカッタでは言われたことがなかったのに、ここでは「 なんでインドに来たの? 」と誰もに訊かれた。久美子さんにまで訊かれてしまった。それって、インドに来る資格がないってこと?来るならせめて団体旅行で来いよなって感じ?
ネパール・ベストが馴染んでいる三十歳位の関西弁の男は、あからさまに「なんでおまえみたいなんがインドに来てんねん、ヨーロッパにでも行っとったらええねんで」と言った。ことあるごとに「アホちゃうか」となじられた。
しかし関西弁なので漫才のつっこみみたいな感じがして、ちっとも腹が立たない。その上この男は、口は悪いがけっこう面倒見が良く、インドに来たんやから 神様の勉強 もせなあかんで、とヒンドゥー教の本を与えてくれ、旅は金持ってないとおもろないで、と 国境越えで稼ぐ方法 を教えてくれ、なによりありがたいことに、いろんな物品の 現地価格 も教えてくれた。

彼を筆頭に、何故だか誰も彼もが、間違ってインドに来てしまったと判定されていた私に対して、教育的指導をしたがった。
で、ある日、四人の講師による四時限ぶっ続けの講義を受けるはめになったのである。要約すると、以下のような講議であった。


関西弁男の講義

過去とか未来とかはあらへんねん。未来ってのは過去から想像してつくるもんやからな。オレは赤い太陽を見てる時、今生きてる、それだけしか感じへん。
オレらは旅やからな、帰る国があるからインドはええ言うけどな、自分の国へ帰れんとここにおる奴らだっておるねんで。 オレはまず旅があって、その為に仕事しとるんや。


裸足のフランス人青年の講義

二十歳になると一年の徴兵か、二年の市民奉仕か森林奉仕がある。ぼくはそれがイヤだったから国を出たんだ。自分の気に入ったシステムの国に住めばいい。自分が裸足でいたいならそれでいい。人がどう言おうと関係ないよ。


もうひとりのフランス人青年の講義

十八歳の時労働して、 自分がどんな人間になりたくないかわかった 。工場で毎日60キロの樽を運んでいたんだ。クレイジーだよ。
アフリカを一年間旅した時、200キロ歩いてピグミーに会いに行った。森で食べ物がなくて、毎朝キャタピラ(芋虫)を食べた。心の中で出来ると信じ続けて、ついにピグミーに会えた。もし君が心をオープンにして、出来ると信じ続ければ何でも出来るよ。


インド人青年の講義

道を歩いていたら、何も着ないで腹をすかせた男がいた。ぼくはシャツを脱いで彼にあげた。ぼくは家にシャツを四枚持っていたけど彼は何も持っていなかったからね。
道を歩いている人は友達ではない。でも友達だ。わかるか?
自分のキャパシティで判断することだ。自分の限度を越えた計画は立ててはいけない。


四時限ぶっ続けの講義を受けたら疲れてしまったので、その後はテラスに出て 米の石取り という奉仕活動に参加した。
個室に泊まっている夫婦がドミトリーにつながっているテラスに現れると、私もそうだけど、若い男の子たちもすぐ輪に加わってくる。三十歳位の奥さんがそこにいるだけで、なんだか一家団欒の楽しい雰囲気になるからだ。彼女はただ笑ってそこにいるだけなのに、みんなの疲れを癒し、安らぎを与えていた。

日向ぼっこしながら米に混じった小石をひとつひとつ取り除いていく作業は、天国のように幸せだった。
「あ、あった」
「いっぱいあるね」
「これじや終わらないね」
そう言いながら、みんなの顔は子供のようにはしゃいでいた。


バラナシで六日間を過ごした後、私は予定していたリシケシュ行きを変更して、 ネパール国境越えの旅 に出ることにした。リシケシュのアシュラムで瞑想するというのが今回のインド行きの大きな楽しみのひとつだったのだが、このバラナシの聖なるガンガーの辺で、死を待つ老人たちや焼かれる死体、沐洛する人々や洗濯夫を眺めているうちに、もう瞑想なんてどうでもよくなったのだ。インドにいること自体が瞑想体験といってもいいのだからね。

「ネパールはええで、食いもんもうまいで」とネパール行きを前に、ネパールを誉めちぎる関西弁男に、大学生ふう男の子三人がお伺いを立てていた。

「ぼくたちも一緒に行っていいですか?」
「ええで」関西弁はいともたやすく答えた。

私はこの機を逃さなかった。
「私も!私も一緒に行ってもいいですか?」

国境越えはひとりではとても出来そうになかった。このチャンスを逃すとネパールには永遠に行くことが出来ないだろう。
関西弁男は一瞬、えらいもんにつかまってしもたというような顔をしたが、大学生にええでと言った手前しゃあないなあと観念したらしく、「ええで」と渋々応えた。

やったー!こうして他力本願でネパール国境越えを目指すことになった私である。


 

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