インドにハマッタじゃ!

第五話

バラナシ 久美子ハウス

 

シルク工場からリクシャで私を銀行まで連行してきた男の子は、なぜかミョ〜にはしゃぎまくっていて、銀行の長椅子に座ってもまだ、私にあれこれ話しかけていた。今の状況を整理しようとする私の思考を、この小さな彼はさっきからずっとかきみだしているのだ。そこへもってきて銀行の窓口では、銀行員の青年が、
今夜うちで食事をしませんか? 」などと囁く。

なぜかチャイが私にだけ運ばれてきて、その銀行員がチャイをどうぞ、とにっこりするありさまだ。なんなのよ!なんで銀行でナンパすんのよ!

カルカッタの銀行では銀行員のおじさんが、
インドの神話を教えてあげましょう 」などと言って、突然絵本を取り出して解説し始めたし、いったいインドの銀行員は何をしておるのだ!



男の子は私に運ばれてきたチャイを見るなり、「飲むんじゃない、あいつは悪いことを考えている」などと耳打ちした。そうかね、私から見れば、君んちの工場のチャイより銀行のチャイのほうがよっぽど安心だけどね。

と、そこへ、一目で日本人とわかるカップルが銀行に入ってきた。私と同じ年頃のちょっと旅馴れた感じの若いカップルだ。

「こんにちは!」
日本人に会えて、私は顔中笑顔で挨拶した。

すると彼と彼女のほうも、すぐに私を日本人だと認めて、「こんにちは」と柔らかい表情を向けてくれた。
(この頃はインドに来たばかりで、日本人色の肌をしていたからね。一ヶ月もすると、「えっ、あなた日本人だったの?」と言われたりもしたよ)

素朴な感じの彼女は、私の傍らに小さな男の子がくっついているのを不思議そうに見やりながら近付いてきて、
「どこに泊まってるの?」と聞いてくれた。
彼女にすれば何気なく挨拶代わりにそう聞いたのだろうけど、それは私にとってはとても優しい言葉だった。このバラナシでこれからどの宿に泊まるかは、なによりの不安だったのだ。私のほうこそ、彼女がどこに泊まっているのか聞きたいくらいだ。


私が今夜泊るホテルは、ガンガー(ガンジス河)から離れた住宅地のような場所にあるようだった。なにしろ チェックインしてすぐに出かけたまま なのだから、そこが地図上のどのあたりになるのか、どういう地区にあたるのか、ズサンなことにまだ何もわかっていなかった。
そこで、どこに泊まっているかと聞かれた私は、心の中で狼狽しながら、ホテルの名前を言い、
「駅のあっちの方」と、ばかみたいに指差した。

「そのホテルにひとりで泊まってるの?」親切な彼女はなおも訊いてくれた。
「うん、そう」

「あら、 久美子ハウスに来ればいいのに

えっ、なんだって?久美子ハウス?
バナラシ駅にいたあのインフォメーションの男はなんかすごいこと言ってたけど、いったいどういうこと?久美子ハウスには誰も近付かない、危ないから行くんじゃない、と激しく忠告されたけど、、、。

「久美子ハウス、やってるの?」
「えっ?あ、うん。日本人がいっぱいいて楽しいわよ。あなたも来ればいいのに」

にこにこと明るく誘ってくれる彼女の言葉で、すべてははっきりした。私はあのインフォメーションの男に騙されたんだ!

私にはその時、目の前のそのにこやかな女の子がとても羨ましく思えた。いいなあ、男の子と一緒にいたら神経が楽だろうなあ。インド人のナンバ攻めに合わなくてすむし、日本の男の子はみんな親切だし。旅はひとりでするもんだと意気がっていると、ここでは命がけの気合いがいるからなあ。
とにかく明日は久美子ハウスに行こう、と元気をもらって、そのカップルと別れた。


銀行の外で待っていたリクシャワーラーの男の子に、これからホテルに帰る分のリクシャ代と、今日の午後のもろもろのリクシャ代を 交渉 しようとして尋ねると、あなたが払いたいだけでいいと言う。

そうか、ホテルやシルク工場の紹介料で彼は充分稼いだのかもしれないな。だがリクシャ代はリクシャ代だ。私がショールやサリーを買ったことと彼がリクシャを走らせたこととは、別問題のような気がする。だって確かに彼は、やせた細い脚でリクシャをガンガンこいで、彼なりの正直さで労働したのだから。彼がリベートをもらったとしても、それは彼の正当な営業報酬なのだ。

そういえば、一番最初に駅からホテルまで乗る時には2ルピーの交渉をしたが、そのあとは代金の交渉をしないで走り回っていたのだった。代金の交渉を前もってしなかった場合、後でふっかけられても文句が言えないところなのだ。私は走った距離と費やした時間を思い起こした。

「8ルピーでいい?」
「あなたがいいなら、それでいい」


私より五、六歳若そうなリクシャワーラーは、夕方近くにようやくホテルに帰り着き8ルピーを受け取ると、なんだか突然二枚目俳優の顔つきと目つきになって、
「ホテルからでるんじゃないぞ。夕食はホテルでとるんだ。いいか、6時過ぎにホテルから出たら危険だから、絶対に出るなよ」と、低い声できつく念を押した。

なによ、私を恐怖のどん底に陥れたあんただって危険な人物のひとりなんだからネッ、と心の中で毒づいたが、彼があまりに真剣に私の目を覗き込んで三度も念を押すので、「わかった」と応えた。私だって、夜に街をうろつこうなんてとんでもないことは、はなっから考えちゃいませんよ。

その夜、 バケツー杯のお湯 をボーイのおじいさんに部屋まで運んでもらい、久しぶりにお湯で体を流せた。インドに来てからずっと、冷たいタオルで体を拭くしかなかったので、バケツー杯のお湯でも極楽だ。
それから食欲もなくベッドに寝転がっていると、遠くから街の喧騒が聞こえてきた。


翌朝早く、私はボーイのおじいさんに呼び起こされた。シルク工場の男の子が ガートの日の出 を案内してあげるよと言うので、迎えにきてもらう約束をしていたのだ。性懲りもなく誘いに乗ってしまう私である。

インドの子は小柄だから、小学2年生くらいに見えるこの子は、ひょっとすると4年生くらいなのかもしれない。
「学校には行ってるの?」
「行ってるよ」

じゃあ今日は日の出の案内をした後で学校に行くんだなと思っていると、
「ぼくは午後からのクラスなんだ」という。
あれっ、君は昨日の午後は工場にいたじゃないの。

工場の男は、この子のことを弟だといったけど、ほんとうだろうか。ほんとは使いっぱしりをする奉公人で、学校にも行っていないんじゃないだろうか。だけど、奉公人がこうやって勝手に早朝から出歩いたりできるのだろうか。う〜ん、わからないなあ。
男の子は相変わらずはしゃいで、聞き取りづらい英語でしきりと私に話しかけている。

「ねえ、久美子ハウスを知ってる?」と訊いてみた。
「知ってるよ。案内してあげる」

こうして私はその小さな男の子に導かれて、久美子ハウスに辿り着いたのであった。


 

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