インドにハマッタじゃ!

第四話

シタールの演奏

 
バラナシの迷路を右に左にごちゃごちゃ曲がって、ようやくリクシャが止まったのは、煉瓦造りの大きな家の前だった。

なんだかひっそりと佇むその大きな屋敷を前に、私はさらなる恐怖にひきつってしまった。そこには シタールの演奏をする集会場 という雰囲気などどこにもなかった。そして昼間だというのに、路地にはひとっこひとりいなかった。
ああ、いったいこの先私の運命はどうなってしまうのだろう。こんな路地の奥の奥にひっそりと佇む屋敷だなんて、いかにもヤバそう。いかにも悪党が住んでいそう。最悪の場合どこかに売り飛ばされるかも、、、。

フリーズして声もでない私だったが、足腰のほうは意外にもフリーズしていなかったので、出迎えた仲居さんふうの女性の促すまま、屋敷に上がり込んだ。というか、屋敷に連れ込まれた。
恐る恐る廊下を抜け、案内された 広い板張りの部屋 に入った。リクシャワーラーが私の逃亡を阻止するかのように、ぴったり後ろに付いて一緒に入ってきた。


私は目だけをきょろきょろと動かし、いざという時、 強行突破して脱出する ための出口を素早く確認した。

と、おやおやっ?
見ると、薄暗い部屋の隅には、 大小のシタール が置いてあるではないか。じゃあ、ひょっとしてシタールの演奏が聞けるというのはほんとだったのかな、と少しばかり安心する。が、まだまだ事態は極めて難解であり、予断を許さない。

少しすると、ガラスのコップに入ったチャイが私にだけ運ばれてきた。神妙な顔で傍らに座っているリクシャワーラーが、サービスだから飲めと言う。
ふんだ、飲んでたまるか!この中に 睡眠薬 でも入ってたらど−するんだ。彼が三度も飲めと言ったが、私は無視し続けた。


ついに親玉が現われた。30才くらいの、インド人にしてはかなり背の高い男だ。男は、やはりインド人にしては色白の顔に、突然得体の知れない作り笑いを浮かべた。いったいこの 無気味な愛想良さ はなんなのさ!なんだか気持ちが悪い。が、悪党の笑いにしては、なんだか目つきに鋭さがなく、鈍い感じがする。これは私には良い兆候だろう。

「今日はシタールの演奏者がいないのです。折角来て下さったのにすいません」
と男は言った。それから私にチャイを飲めと勧めた。誰も彼も私にチャイを飲ませたがっているのがどうも怪しい。

私はいったんコップを手に取り、口をつける格好をして友好的態度を見せておいてから、すきをみて男の死角にコップをこっそり置いた。リクシャワーラーが横目で私の行動を監視していたが、親分の前だからか、頭を垂れて黙ったままだ。


男は得体のしれない作り笑いのまま、
「私は シルク工場 を経営しています。折角だから シルク・サリー を見てみませんか?バラナシのシルクは有名なのですよ」と言った。

へっ?シルク工場?サリー?

ちょ、ちょっと待てよ。ということは、シタールをえさに、サリーを買わせようという企画だったのかな、これは。そうだとしたら、とにかく助かった。私を売り飛ばそうというわけじゃないんだったら、なんでもOKよ。

私が頭をフル回転させて今の状況を考えているうちに、早くも、反物のように巻いてある色とりどりのサリーがカンチャ(奉公している子ども)によって部屋に運ばれてきた。


シュルルルー、シュルルルー、〜〜〜。
めくるめく絵巻のようにサリーが広げられていく。
わっ、きれい!うわっ、きれい!
あらゆる色や模様が次から次並べられていく。どれひとつとして同じものはない。板の間は瞬く間に、息を呑むほどの美しいサリーで埋め尽くされた。

「どれが好きですか」
男がにっこりして訊いた。どうやらここでサリーを買えば、 身柄は即刻釈放 されそうな気配になってきた。さっきまでの恐怖が、かなり和らいできた。

「いくら?」お愛想のつもりで聞いてみた。
「どれでも20ドルです」

へっ、20ドル?20ドルっていくら?
まったくの不意打ちだった。なんでドルが出てくるのよ、急にはドルじゃ計算できないじゃないの!ドルじゃあインドの物価に照らし合わせようがないじゃない!

計算しやすいルピーでいくらなのか聞いてみようかと思ったが、考えてみればシルクのサリーがいったいいくらの相場なのかだってわかっていないのだから、どっちにしろ判断のしようもないのだった。私がドルの計算に頭を悩ませていると、男はどう勘違いしたのか、なおもたたみかけてきた。

工場価格 なのです。20ドルはお買い得ですよ」
「でも日本ではサリーを着ません」

さっきまで売り飛ばされるかもしれないと怯えまくり、今なお身柄を拘束されているくせに、私はいつもの癖で、 つい値切ろうとして 難癖をつけた。すると思わぬ展開になった。

「ではショールをお見せしましょう」
なんでそうなるの!


これまた色とりどりの巻物が、まだあどけない顔をした奉公人のカンチャによって運び込まれ、シュルシュルと広げられた。 金糸銀糸 が織り込まれ、まばゆい美しさだ。

またしても板の間は、絢爛豪華なショールで埋め尽くされていく。だけどこんなに沢山広げたら、後でこれを全部巻き直さなきやならないカンチャが大変じゃないの!慌てて私は「充分です、充分です」と言った。

「ショールはどれでも30ドルです。この金糸は本物の金を使っています」
おいおい、どうでもいいけどサリーより10ドルも高くなってしまったじゃないか。

男は金糸を一本抜き取って火を付け、ほらね、ホンモノですよ、と燃え残った金を見せてくれた。こんなパフォーマンスをするところをみると、どうやら男は正真正銘、ただの商人なのだろう。万が一、私を売り飛ばすかなんかする気なら、こんなまどろっこしいことをするはずがないもの。ああよかった、最悪の事態は避けられたのね。心底ほっとする。
しかしもうこうなったら早いとこ、ショールを一枚買って、早いとこ、ここから出よう。


「ショールを買います。でも今お金を持っていません。 銀行に行って お金を作ります」
私は銀行という単語を強調して、釈放を急がせた。私を釈放して銀行に行かせないことには、あなたに何の得もないんですからね。どうだ。

しかし女っていうのは、こんな非常事態にも欲深にできてるのね。もうこうなったら早いとこショールを一枚買って、というわりには、やたら真剣にショールを一枚選び出し、もうこうなったらといいながら、 折角だからついでに 、てなわけでサリーも一枚選び出してしまったのである。嗚呼。

結局しめて50ドルの買物を約束し、無事釈放された。
それから男の指示に従って、男の弟だというけど男に似ていない八歳くらいの男の子に連行されて、さっきのリクシャで銀行に行くことになった。銀行で50ドル分のルピーを男の子の手に渡せば、引き替えにショールを受け取り、後日サリーをホテルに届けてもらえるという話なのだ。なぜサリーだけ後日かというと、サリーの布の端を使ってインド風ブラウスをサービスで仕立ててもらうことになったからだ。

まったく最後まで欲深な自分に驚いてしまいます。


 

Copyright (C)1998-1999 Taeko .All rights reserved.
通販美生活-美容・コスメショップ 通販夢生活-健康・癒しショップ