インドにハマッタじゃ!

第一話

カルカッタ到着


カルカッタの朝の空港にひとり降り立った私は、やけにすんなり入国を許されると、まずは空港内の銀行で当座のルピーを入手した。

さあていよいよインド突入だあ!
気合いもろとも夕一ミナルの外へタクシーの呼び込み攻撃 にもみくちゃにされながら、必死で脱出した。タクシーの呼び込みオニイサンたちの凄まじい攻撃を見事にかわし、よくやった、よくやった、と自分で自分をさかんに褒めながら、私はターミナルの出口の階段にほっと座り込んだ。

私の目の前では、白人旅行者たちが次から次へとタクシーに乗り込んでは去っていく。
そういえばバンコクからの飛行機で乗り合わせた 仏教遺跡巡礼十二日間の旅、関西弁ご一行様 もすでに迎えの小型バスに乗って行ってしまっていた。

いかん、バス乗り場を探さなくちや、市内に出るバスを探さなくちや。いつのまにかひとりターミナルに残されしまった私が急に焦りを感じ始めた時、小さな男の子があどけない笑顔を輝かせて近寄ってきた。
「タクシ?」
えっ、三歳ぐらいにしか見えないけど、ひょっとしてもう呼び込みの仕事をしているのだろうか。

「バス・ステーション知ってる?」
試しに英語で訊いてみたら首をこくんと振った。
小さな小さな手に導かれて左の方へ少しばかり行くと、おお、ちやんとバスが止まっているではないか。車掌のオニイサンに訊くと市内に行くという。私ってラッキー!(^o^)

小さな手の平が差し出された。そうよね、この子にチップをあげなくちや、すごく助かったんだもの。バス賃はわずか1ルピー95パイサだ。(当時1ルピー30円として約60円)私は紙幣を車掌に渡し、
「市内に行きます。おつりを下さい、細かいおつり。彼にチップをあげたい」
と、まだうまく英語の頭が回転していなくて、あまりに簡単な英語で説明した。(私の英語力はというと、TOEIC670あたりの旅行や電話には困らないレベル。)
車掌は愛想良く 大中小混じったコイン をジャラジャラっとくれた。

初めて見るコイン。どれがいくらか、いくらがチップになるのかわからない。そこで小さくて軽いコインをひとつ、男の子の手の平にのせてみた。
男の子は小さな手を引っ込めないでにこにこと笑っている。その笑顔があまりにも可愛くて、中くらいのコインをもうひとつ、ふたつ、みっつ。するとこくんと頷いてコインを握りしめた。私の手元には大きなコインがひとつだけ残った。

バスの窓の外を騒々しい風景が飛び去っていく。掘っ立て小屋のような家々、洗濯物、子どもや牛や鶏、すべてが埃っぽく調和している。ああ馴染むなあ、私はインドに合ってるなあ、と 暴走運転のごとく乱暴なバスの揺れ に身を任せて心地よくしていると、背後から誰かが叫んでいる声が聞こえてきた。

ティケッ!
振り返ると車掌のオニイサンが、窓ガラスにへばりついている私に覆い被さるようにして呼びかけていた。
いつの間にか車内は満員状態で、私の隣には身なりのいい青年が座っていた。車掌は切符を切って回っているようだ。

はて、チケット?バスの切符ねえ。変だなあ、市内までのバス代を払っておつりをもらった時、そんなのもらわなかったけど。
ぽかんとしている私に車掌はなおも「ティケッ!」と催促するので、私は、
「払いましたよ、1ルピー95パイサ払いましたよ」と軽く受け答えた。

ノーティケッ 、あなたはまだ払っていません」
車掌は急にマジな顔つきになった。が、その場はいったん立ち去り、他の乗客のチケットを切り終えてから、仕切り直しにまた戻ってきた。

「あなたは払っていません」
車掌が睨み付けるので、なんだか腹が立ってきて、私も負けじと言い返した。
「私は払いました」
ふんだ、ちゃんと紙幣を渡しておつりをもらったんだからね。それにしてもあんな優しい愛想の良かったオニイサンがどうして急に目つきの悪いエラそうな人になってしまったんだろう、インドはやっぱり恐いところなのかもしれないなあ。

どこで下車したらいいのかもわからないまま車掌に睨み付けられることになった私は、急に不安いっぱいになってきた。

「払えよ!」
「払ったわよ!」

「払えよ!!」
「払ったわよ!!」

次第に語気荒くふたりで同じ言い争いを繰り返しているうち、周りのインド人のおじさんたちがなにやら車掌に文句を言い出した。ひとりのおじさんが「 わしは彼女が払うのを見た! 」と英語で叫んだ。サイババのようなアフロヘアーをしたそのおじさんは、たしか私が空き空きのバスに乗り込んだ時にはいなかったハズなのだが、、。

隣に座っている青年が静かな口調で私に訊いた。
「お金を払った時、チケットをもらいましたか?」
「いいえ」
「彼らはそういうことをするのです。そういう汚いやり方をするのです。いいですか、バスに乗ったら必ずチケットを受け取らなければなりません。とにかく彼のことは無視しておきなさい」
薄い小麦色の肌 をした美しい顔立ちの青年は、見るからに上位カーストっぽい。高そうな時計もはめている。一方、車掌のオニイサンは 黒に近い褐色の肌 だ。つまり下位カーストがもつ肌の色にちがいない。
美青年の発言には、あからさまに下位カーストの同胞を蔑む態度があるようで、いくら私の味方をしてくれているとはいえ、なんだかちょっとむっとしてしまった。
とはいえ、むっとはしても、心強い援護射撃であることは確かだ。

私の前の座席にいたヒッピーふうの白人も、払うんじゃないぞと振返って言った。
車内が圧倒的全面的に私の味方になってしまい、車掌は乗降口に立ってただ私を睨み付けるしかなくなった。


バスはいかにも大都市の中心部へと一気に突入していった。

「どこに行くんだ?」と白人ヒッピーが振返って聞いてくれた。
私ってツイてる!(^o^)
なんと、白人ヒッピーは私の行きたい安宿街 サダル・ストリート に行くというので、一緒にバスを降りることになったのだ。

乗降口に立つ車掌のオニイサンのギラリと鋭く光る眼を、キッと睨み返して下車すると、ヒッピーとはぐれてはならじと私は懸命に小走りで後を追った。長身の彼はめったやたらと足が速かったからだ。長髪、髭もじゃ、肩のがっしりした彼は、 辺境のカメラマン といった風格。ヒッピーふうのおしやれな着こなしのわりには、足元はしっかり革のワークブーツで固めている。

走る私の目の端をよぎっていく美しい女性、あざやかなサリー、賑やかな露店・・・
ああ今いっときインドの ド原色の色彩 にこの目をうばわれていたい、今いっときインドの無秩序にやかましい騒音に耳をうばわれていたい・・・
がしかし、私の歓喜興奮などまるでおかまいなく、辺境のカメラマンは 車や人の波や牛をかきわけて ずんずんずんずん進んでいき、脇目もふらず私をサダル・ストリートまで連れていってくれたのである。

目指す バラゴン・ホテル はもうそこだ。ああこれで今夜の寝床にありつける。急に安堵の思いが胸に拡がった。ありがとう、モーゼのような力強いお方、私を約束の地へと導いて下さったのね。
わずか十数分の間に、その白人はヒッピーから辺境のカメラマン、ついにはモーゼにまでのぼりつめたのである。


ところで、バス賃事件の真相はというと、なんとも 恐ろしい冤罪事件 にほかならなかったのです。つまり無実の車掌が犯人にでっち上げられていたということです。 犯人はこの私だった のです。

私の手に残った大きなコインは、実は1ルピーコインでした。私が男の子にあげたのは、10パイサと20パイサ2枚と50パイサコインの合計1ルピーに相違ありません。
つまりあの時、 車掌は2ルピー紙幣を両替してくれた わけです。そうとしか考えられないのです。5ルピー紙幣のおつりであるはずがないのです。
私は大中小いろんなコインをもらった瞬間に、 5ルピー紙幣を渡しておつりをもらった気 になってしまったらしいのです。

そのことは、その日の午後、バラゴン・ホテル周辺で、 バナナ・ラッシー (バナナとヨーグルトと氷と砂糖をかき混ぜたもの)の美味しさに酔いしれた後2ルピー50パイサ払い、 パコラ (野菜だんごの揚げ物)を二個紙に包んでもらって30パイサ払い、ビスケット三枚買って50パイサ払い、そうして私の財布にいろんなコインがたまった時に気がついたのです。
ああ、なんてこった!!

ごめんなさい、車掌のオニイサン!あなたが車内の人々からいわれなき中傷を満身に浴び、人間としての尊厳を踏みにじられたのは、すべて私が悪いのです。 だまされまいとして過剰反応のあまり 、職務を全うする正しい心のあなたに濡れ衣をきせ、あなたを貶めてしまったこと、本当にごめんなさい。


カルカッタ到着早々、善良なインド人を貶め、なおかつ公然と キセルをしてしまった なんて、、、なんだかこの先が思いやられる私であります。


 


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