第二十四話

夏のおわり

浜の一番西に建つあすなろ荘より更にずっと先の方に、十人位の大人が集まっていた。
その大人たちから少し離れたところに鉄也がぽつりと立っていた。

亮一は鉄男の前に駆け寄ると、険しい顔で立ちはだかった。
「なんで、ひとりで来たがよ!」
亮一はほっとして、そして怒っていた。

「いつも一緒ながに、なんでひとりで来たがよ、オレがどんな思いをした思うとんがよ!」
鉄也は驚いて目を丸くした。
「なんで待っとらんがよ、なんで迎えに来んがよ!」
亮一は顔を真っ赤にさせて怒鳴った。
二、三人の大人たちが亮一をちらりと振り返った。

「ごめん。きっとみゆき姉ちゃんに捕まっとんがじゃないかと思って・・・」
そのとおりだった。
「オレ、心配したんだよ」
亮一はいくぶん声を落として言った。
「うん、ごめん」
鉄也は照れ臭そうに領いた。


輪になっている大人たちの間から、横たわる子供の足が見えていた。
「知ってる子?」
「分からんけど、多分・・」鉄也が低い声でつぶやいた。

二人は恐る恐る輪に近付いていった。
砂地に広げられた毛布の上に、紺色の海水パンツを履いた小学二、三年生位の少年が仰向けになっていた。

少年の傍らには、臨時の派出所にいつもいる中年の看護婦が跪き、今まさに人工呼吸の真っ最中だった。看護婦は右手で少年の鼻をつまみ、左手で顎を持ち上げるようにして、少年の口に息を吹き込んでいた。土気色の少年は、全く意識がないようだった。

「あかん、腹の水を出さんとあかんわ」看護婦が呟いた。
「看護婦さん、わしがやっちゃ!」
横合いから上海のおっちゃんが身を乗り出して言った。

おっちゃんは少年をうつ伏せにすると、両手を少年の腹に回してまたがり、腹をゆっくりと持ち上げていった。少年の口から濁った粘液状の海水がだらだらと流れ出て、毛布にすこしづつ染み込みながら拡がっていった。亮一と鉄也とそこにいるすべての大人たちが、固唾を呑んで少年を見守った。

少年はまた仰向けにされた。看護婦は少年の口を自分の口で覆い、また深く息を吹き込んでいった。

あの子だ。あの子にちがいない。
亮一はそう確信した。
その少年は、亮一と鉄也がカエルを捕まえた日、田圃にいた一番泥だらけで元気だったリーダー格の男の子にちがいなかった。

看護婦は少年の心臓に耳を当て、首筋に指を当てて脈を探し求めた。それから少年のみぞおちに両手を重ね合わせると、自分の体重をかけながらゆっくりと押していった。

まもなく少年の口からあぶくになった海水が溢れでてきた。一心不乱に蘇生を繰り返す看護婦の横顔からは汗が滴っていた。


浜の向こうから、若禿の警官に手を引かれ、ひきずられるようにして女が走ってきた。
女は近くにあるエビの干物工場で働いているらしく、手ぬぐいを頭に巻き、白い割烹着の上から黒いゴムの前掛けを掛け、黒いゴム長靴を履いていた。

女は少年の近くまでくると、警官の手を振り解いて立ち止まった。
すべての視線が女に向けられた。
女は土気色の少年を見つめたまま、怯えたように顔を青ざめさせて立ち尽した。

しばらくして不意に女は震える手で手ぬぐいをむしり取ると、いきなり絞り出すような声で少年の名前を呼び、走り寄った。
少年の母親だった。

少年にすがりつこうとする母親の肩をおっちゃんが横からしっかりと抱きとめた。母親は何度も何度も少年の名前を呼び続けた。看護婦の少年への蘇生は続いていた。

救急車のサイレンの音が近づいてきた。亮一は錯乱した母親をとても見ていることが出来ず、鉄也の腕を引いて後ずさった。鉄也はランニングシャツの裾を両手で強く握り締め、目を真っ赤にして顔を歪ませていた。

「行こうよ!」
亮一は鉄男の手を引っ張って歩き始めた。

鉄也はポロ、ポロと涙をこぼし、何も言わずに歩いた。
浜全体に響き渡るような母親の絶叫を背中で聞きながら、亮一は鉄男の手を強く握り締めていた。


二人でブランコに並んで腰掛けてからも、鉄也は長い間足元を見つめて黙っていた。
亮一も敢えて話しかけようとは思わなかった。
ブランコをわずかに揺らすと、錆ついたブランコの軋む音が、悲しげに響いた。


「オレ、生まれてこんかったらよかったって、思ったことあるじゃ」鉄也が突然話し始めた。
「そんでも、生まれてこんかったら、ボウヤと一緒に遊べんもんね」
亮一は黙っていた。

「それに、オレが死んでしもうたら、母ちゃん泣くからな。・・・母ちゃん怒ってばっかりおるけど、オレが死んだら、絶対泣くからな!」
オレだって、泣くよ!
亮一は自分でも驚くくらいすごく大きな声で言った。

「わかっとるよ、オレだってボウヤ死んだら泣くもん!」
そう言うと、鉄也は亮一を見つめて照れくさそうに笑った。亮一も鉄也を見つめ返して、思わず照れ隠しににっと笑った。

ブランコの傍らに、亮一たちがつくったカエルの墓があった。その小さな小山は崩れかけ、差しておいた板切れもなくなっていた。
二人はそれに気付くと、もう一度砂を高く盛り上げ、卒塔婆のような板切れを探してきて差した。そして浜昼顔の花を沢山摘んできて、墓の周りに飾りつけるようにして供えた。

「あいつ、助かるかのう?」
「きっと、助かるよ!」亮一はカを込めて言った。
「うん。きっと、助かるよな!」
二人はカエルの墓に手を合わせて祈った。


翌日、浜茶屋の解体があちこちで始まった。すぐそこに台風が近付いていた。


上海の屋根の上では、おっちゃんがトタン板を端から順番に、手際良く剥がしていた。
おっちゃんは浜茶屋を建てるのも壊すのも、いつもひとりでやってのける。

海浜ホテルやマイアミでは、屋根はすでに剥がされていて、何人もの人が柱を外していた。
亮一と鉄也と慎二は、浜辺にうつ伏せにされた貸しボートに腰掛け、壊されていく浜茶屋をなんだか寂しい気持ちでぼんやりと眺めていた。

真っ黒に日焼けした少年たちの夏休みはもう残りわずかとなり、そして浜の夏は、終わろうとしていた。



 

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