「神父様の鞄」より抜粋(その1)

神父様の鞄 より


 しかし、気の付く生徒が居る場合は、時を見計らって始めの部分をそっと消しに来たりする。そぅした良き生徒の中の一人が、或日教壇の机の上に広げられた先生のノートに目をとめて叫んだ。
「随分綺麗に書いてありますねえ!」

 先生は自分が悪筆だと言っているのにと苦笑しながら振り向いて、賞賛の的が何であるか気付いた。
「ああ、それ? それは綺麗よ、私じゃあないからね」
「これ、ローマ字ですか?」
「そう、それはローマ字。私は漢字は読めないからねえ、ローマ字に直して貰うのよ」
「どなたに?」
「あきらよ、あきらが書いてくれる。彼は本当に字がうまい」
「あきら?」
「そう、あきら、知ってるでしょ?」
何人かぞろぞろと前へ出て来て、その綴じた紙の束を感心して眺めている。その中の一人が小声で、
「コンダネ ア モール?」と先生の顔を見た。先生は笑って頷き、
「小菅にね、小菅に行って会う時これ頼んだ。彼は頭がよくてねえ、聖書の翻訳もやっているよ」
 しょうすけやともかずやその他、先生のお気に入りの生徒の一人かと最初思っていた行子は、”コンダネ ア モール”(死刑囚)ではっとし、”小菅”で、あのアプレゲール(戦後派)の犯罪として騒がれた人だとわかった。そして強い興味をそそられて、最前列に居るのをいいことに爪先立って覗き込んだ。


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